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あなたは“死”を考えたことがありますか?
って言っても漠然としててわかりにくい質問ですよね。
ここで私が聞きたいのは、自分に残された時間をどれだけ意識して生きているかってことなんです。
生まれたときから時間は刻々と刻まれていきます。
生きている時間の長さは違えど、『生まれてきたということ』『死んでいくということ』は皆同じです。
言い方は悪くなりますが、時を刻むって言うことは『死に近づいてる』ってことなんですよね。
誰も避けて通ることもできなければ、逃れることもできないんです。
“死”って聞くと「怖い」「嫌だ」「まだ先のこと」なんて感情が湧いてしまいがちですが、生きていくために“死”を考えることは、その後の人生を大きく変えると思っています。
今回は、複雑な家庭に生まれ、たくさんの方をお見送りしてきたナース“みかん”の死生観についてお話していきます。
哲学的な難しい話ではないので、「自分自身の死生観てどんな感じだろう」って考えるきかっけになればいいなと思います。
死生観とは
死生観ってちょっと聞きなれない言葉かもしれないので、少し説明だけしておきますね。
死あるいは生死に対する考え方。
また、それに基づいた人生観のことです。
宗教などの思想などで考え方が大きく違うんですよね。
例をあげると
- 死後も生前と同様の生活が続くという思想。
- 審判を受け、『永遠の命を与えられる者』と『地獄へ堕ちる者』という復活の思想。
- 生前善い行いをしていれば『極楽・天国行く』、悪い行いをしていれば『地獄行く』という因果応報の思想。
“死んだらどうなるのか…”その先に何があるかで、今どう生きるかが変わったりします。
死んでも同じような生活が続くなら、きっと何も考えずに生きて行くだろうし、善い行いをして天国へいけるのなら、善い行いをしようって考える人は多いんじゃないでしょうか。
でも結局のところはわからないんですけどね。
ただ、この今生きている自分に限りがあるのは事実。
その限りある時間をどう捉えるか、どう考えてどう行動するかは、あなた自身にかかっています。
始めて“死”を意識した頃
ここからは少し私の話をさせてください。
記憶は曖昧ですが、始めて“死”を意識したのは、たぶん小学校二年生くらいでしょうか。
プロフィールで少し触れたんですが、私の父は今で言うDVだったんですよね。
家に帰るのがとてつもなく嫌だった記憶があります。
不適切な表現になるかもしれませんが「いつかこの人に…される」って思っていました。
漠然と“死”を意識し始めたわけです。
ただその頃は生きる意味も、命の尊さも考えたことのない小学生。
怖さはありましたが、それ以外に何を思っていたかは今となっては思い出せません。
ただ『終わりよければ全てよし』だと思い始めたんですよね。
最後の時がよいと思えれば、私は幸せなはずって言う暗示にも似たような感覚です。
その後からは、死にたいわけではないけど、「なんで生きてるん?」「何で生まれてきたん?」「生きる意味はあるんか?」「死んだらどうなるんやろう?」「ここから落ちたら死ぬんかな?」なんてことを考える子になったわけです。
でも特別変わった子ではなかったと思うよ。
おとなしかったけどね。
みかん
それと同時に二世帯同居の祖父が、物心付いた頃には寝たきりだったことも“死”を意識する要因でした。
小学生にとっての“寝たきり”のイメージって、「もうすぐ死ぬん!?」って思うくらい直結した考えになるんですよね。
この祖父は、41歳で首から下の神経が麻痺して寝たきりになったんですが、頭はしっかりしていました。
昭和の九州男児だったんで、口は達者!
顔も一見怖そうだし、無口で無表情。
若い頃には散々祖母に迷惑をかけるほど、家庭を省みることなく自由にしていたんだとか。
そんな祖父が、私をとても大事にしてくれていたんですよね。
なので私自身も祖父に思い入れが強く、その不安からか「いつか終わりが来る」って言うことを勝手に意識していました。
もらったおこづかいが「これが最後になるかも」って何度も取り置いたりしたんです。
みかん
祖父自身は“死”について語ることはなかったんすが、よく酔っぱらって「◯◯子(祖母)と結婚してよかった」と言っていました。
もちろん普段は無口な九州男児なんで、感情表現は少なくほとんど話しません。
用件のみを伝えるだけ。
献身的に支えてくれている祖母への精一杯の感謝の言葉やったんやと思います。
介護されるのを嫌い、訪問看護やヘルパーなどの他者の介入は一切拒否していたんで、祖母への感謝は計り知れないほど大きかったんじゃないでしょうか。
できるだけ自分のできることはしたいと、手にスプーンをカラーテープで巻き付けて食事をしたりしていました。
逆に、トイレは何度も転んだり祖母の負担が増えても最後までオムツを使用することはありませんでした。
プライドが許さなかったんでしょうね。
『自分で生きる』執念のようなものを感じました。
とは言っても、ストローを使ってまでお酒を飲んだり、肺活量の低下でタバコに火をつけるのが困難になっても、祖母にタバコを吸わせ火をつけてから自分が吸うなんてこともしていました。
最後まで祖父らしさが溢れていたように思います。
それが祖父の希望だったんですよね。
自分の人生にとって、こういった身近な人の影響ってかなりあるものです。
生まれる場所は選べなくても、大人になれば選択肢も増えるし、すべて自己責任になってくるので考え方次第ですけどね。
ちなみに、私は長女が3歳の頃から“死”について話をしています。
- いつ何があるかわからないこと
- 旦那がそう言ったことに無頓着なこと
- 長女が話をしても大丈夫そうだったこと
以上のことから話すことを決めました。
長女が小3の頃の死生観のお話はこちら⬇️
看護師としての看取り
ちゃんと数えてはいませんが、恐らく百を越える人数のお見送りはしている私。
ですが、あまり壮絶な現場に立ち会ってはいないんです。
必然的にそうなるようになっているかの如く、死後の処置だけに携わることも多かったです。
人間って“生まれる時”と“死ぬ時”が一番苦しいって聞いたことはありませんか?
確かに穏やかな“死”ばかりではないんですが、亡くなったあとはとてつもなく静かになります。
周囲の音は聞こえるんですが、空気が静かと言うか、取り囲む人が厳粛な空気を醸し出しているというのか…
当たり前と言えば当たり前なんですが、最後の時まで時間は平等に時を刻んでいきます。
受け入れても抗っても。
年齢を重ねているほど、自分自身の“死”、もしくは家族の“死”は身近なものになっていきます。
個人差は大きいですけどね。
ただ少しでも死と向き合おうとされた方は、比較的穏やかな印象です。
反対に若くして…突然に…っていう死と向き合う時間の少なかった方は本人も家族も拒否反応が強く出るように思います。
死の受容過程
人が死ぬことを受容する過程は、いろんな人によって研究されています。
医療に携わっていない方も聞いたことがあるかもしれませんが、有名なのはキューブラー・ロスです。
例えば、余命宣告を受けた場合にどのような過程を経て受容していくのかってことです。
キューブラー・ロスの死の受容過程
第1段階:否認(否認と孤立)
事実を否定する段階です。「そんなはずはない!」「それは間違ってる!」と思うことで、冷静を保とうとします。
周囲から距離をおくようになります。
第2段階:怒り
死を否定しきれない事実だと自覚したとき、「なぜ私が死ななければならないのか」と怒りを感じます。
第3段階:取引
死の現実を避けられないかと、“ 神”と取引をします。
第4段階:抑うつ
何をしても「死は避けられない」とわかり、気持ちが滅入り、抑うつ状態になります。
第5段階:受容
死を受容し、心に平安が訪れます。
全てが順番に出るのではなく、人によっていろんな過程を経ることになります。
本人も家族もこれまでの日常とは違うことを意識せざるおえないのですが、最後の時までどう過ごすかというのはとてつもなく重要になります。
まさに個々によって違うんです。
生きるために必要なのは“希望”
自分に残された時間とは関係なく、生きていくために必要なのは“希望”なんですよね。
それはたくさんの『死を意識した人』からの言葉で痛感しています。
病棟に入院してきた時に「ナースコールは僕の命綱やからね」って大事そうにナースコールを掴みながら言った男性。
辛い抗がん剤治療を受けながら「これが私の希望なんよ」って言っていたご婦人。
他にもたくさんの方と話をしてきましたが、笑顔の中に希望と芯のある強さを感じました。
もちろんその希望が打ち砕かれる日もあります。
でも、また新たな希望を見出しながら一生懸命生きていくんですよね。
どんな状況に居たとしても、前に“希望”があるのはとても大切なことなんです。
『死んだら終わり』は正解なようで不正解。
終わりだと思った時点で終わりになるんです。
ただ、医療には限界があるので、治療終了となる場合はあります。
でもね、
“希望”に終わりはないんです。
最後まで“自分らしく”過ごせるように、『今』だけに目を向けてみるのも大きな発見があるかもしれません。
死後の処置
亡くなったあと、最後に身体をきれいにしたり、お化粧をしたりします。
ここでも私が大事にしてきたのは家族の希望。
一緒に死後の処置をしてもらったり、口紅の色を選んでもらったりすることもありました。
残された家族は生きているんですよね。
『受け入れる』って言葉は適切ではないのかもしれませんが、事実として“死”を見つめないといけないわけです。
少しずつ時間をかけて辛さが込み上げてくる場合もありますが、最後の時間もすべて『共有できた時間』なんです。
故人を想って、また自分の生き方も考えてもらえるように、一緒に共有できる時間は大事にしてもらいたいと思っています。
死生観を覆された、祖父と祖母のお別れ
たくさんの方のお見送りをしてきましたが、わりとどなたもしっかり記憶にあります。
家族に看取られながら旅立たれる方、一人で旅立たれる方、本当に様々です。
ただ祖父に関しては、自宅で亡くなっていたということもあってか、病院で亡くなることとは少し違っていました。
内容は特殊なため省きますが、24年間介護生活をしてきた祖母のお別れの仕方にかなりビックリしたんです。
私はどちらかと言えば最後までしっかり見て声をかけてお別れをするタイプ。
「眠ってるみたいね」「ゆっくり休んでね」って声をかけながらお別れする方々もたくさん見てきました。
なのに祖母は…
まったく祖父を見ず、私が見ることを促しても「これまでずっと見てきた。だから見たくない」と。
最後まで棺の中の祖父を見ることはありませんでした。
これは私にとってかなり衝撃でした。祖母以外に故人を見なかった人を知りません。
祖母の真意はわかりませんが、もう十分にやりきった感と最後に見た祖父が生きていたときの祖父であってほしかったのかもしれません。
そして、さらにビックリしたのが死後の処置に葬儀屋さんが風呂桶を持ってきて入浴という名の『かけ湯』をしたこと。
さらに最後の霊柩車が発車するときに鳩が飛ぶというイベント付きだったことです。
一般人の身内だけの葬儀。
祖母はどうしても最後は盛大に見送りたかったようです。
「自分の時も鳩は飛ばしてほしいわぁ」っていたく感動していましたが、私にとってはビックリなことだらけでした。
祖母にとって“死んでも祖父への想い”は変わらないものなんですよね。
とは言いつつ、この祖母は葬儀中に“寝る”という自分らしさを発揮してましたけどね。
人それぞれの思いや受け止め方があることをまざまざと祖母に見せつけられた気がしました。
多くの人は近しい人が亡くなると“後悔”が先に廻ってきます。
もちろんホッとしたりすることもあるかもしれません。これは別に悪いことではないです。
でも「もっと優しくしておけばよかった」「もっと会っておけばよかった」「話を聞いておけばよかった」って言うふうにも思うわけです。
自分に残された時間が少ないと感じた時もそうです。
「もっとやりたいことをやっておけばよかった」「家族との時間をもっと過ごしておけばよかった」。
『もっと。もっと…』
って思うんです。
後悔なくやりきったっと思えるためには、毎日を精一杯生きてきた人でも難しいのかもしれません。
私自身、毎日を精一杯生きているかと問われると決して「はい」とは言えないので偉そうには言えませんが、それでも後悔のない人生にしたいと思っています。
終わりよければ全てよし!?
今まで私は『終わりよければ全てよし』だと思っていました。
でも誰が『終わりよし』と決めるのか…!?
頼りになって貫禄もあって話もとても面白い、一回り以上歳が離れた先輩がいました。
私は先輩ナースと居るのが楽しくて、ちょっとした隙間時間は隣に行って他愛もない話をしたんです。
過去の変わったナース話から自分の失敗談、そして子供の面白話までいろいろ話してくれました。
この先輩が若くして旅立った時に『終わりよし』には私自身が思えなかったんですよね。
だって先輩は痛みが大嫌いだったんです。
もちろん痛みが好きな人なんていませんが、ちょっとの痛みも怖くて逃げてた先輩に突如訪れた病気は痛みを伴うものでした。
末期がんの痛みは辛く耐え難かったと容易に想像できました。
でもね。そんな時でも痛い痛いと叫ぶわけでもなく「患者さんが言うてた意味がよくわかるわ~」って悟ったように話すんですよね。
同時期に旦那さんもがんが発覚。
就職したばかりのお子さんとまだ学生のお子さん、そしてこれから病気と戦う旦那さんを先輩がどんな気持ちで思っていたかと思うと、辛かったんですよね。
だからって私が先輩にできることは何一つなかったんですけどね。
先輩は最後まで“自分らしく”いたんです。
大好きな人達に囲まれて旅立たった先輩の最後は穏やかでした。
もし私にこれからできることがあるとすれば、自分自身の人生を精一杯生きることでしょうか。
自分が最後を迎える瞬間『終わりよし!』って言えるように。
生きていくこと
いつもの日常生活を送っていると、自分が生きているっていうことをまじまじと考えたりはしませんよね。
ただ、時々TVや本を読んで感動したり、近しい人が亡くなったりすると、生きていることのありがたみを感じて「時間を大切にしよう」「家族を大切にしよう」「やりたいことをやろう」って思うわけです。
でもその感動や悲しみは時間と共に薄れていきます。
ほんの一瞬でも考えないよりはいいのかもしれません。
でもね。それじゃあ確実に後悔するのは目にみえているんですよね。
時間には限りがあります。
こうやって“死”を意識することで、自分が死ぬ時にどうありたいか、そのためにどう生きて行きたいのか考えるきっかけになります。
自分ではどうにもならないこともありますが、それをどう捉えるか、その後どう行動するかも全てが自分の責任であり人生です。
限られた時間をどう使っていくかは自分次第です!
みかんの死生観
私自身は、正直に言うと家族よりは先に行きたい人です。
たくさんの方をお見送りしてきましたが、家族を見送るのはイヤなんですよね。
自分が1人で生きていく自信が今はありません。
これは今の私の“生きる希望”が家族にあるからなんでしょうね。
自分のことなら受け入られます。自分のことだから…笑
でも家族のことになると一気に受け入れ難くなるんです。
『幸せであってほしい』と願うが故に、自分の物差しで計るからでしょうね。
と言ってもこれはなるようにしかならないので何とも言えません( ; -᷄ ω-᷅)
もしも最悪な事態に陥っても、旅立った人がどう思うかを考えれば、『精一杯生きていくことを望んでいるはず』って、そこに希望を見出して生きていくしかできない私がいると思いますが…。
簡単なことではないです。
もともと私は長生きしたい願望は全くなく、若い頃は40位でも…なんて思うこともありました。
今は子供がいるのでさすがにもっと長生きしたいと思うようにはなりましたよ(^ω^;);););)
せめて末っ子が成人するまでのあと20年は生きたい。あわよくば子供3人が新しい家庭を築くまで元気で居たいと欲を出して言っておきます!(言霊です!!!)
自分の寿命なんて自分で決めるもんじゃないですけどね。
ただいつになるか分かりませんが、確実にくる“その時”は家族と一緒に過ごしたいというのが今の希望です。
私を通じて、子供たちにも“生と死”を考えてもらいたいんですよね。
人それぞれ幸せや希望は違うものです。
ただ、私は最後まで楽しくありたい
(*˘︶˘*).。.:*♡
そして、やりきったと思いたい!
そんな私を家族が看取ってくれたら、残された家族もしあわせですよね、きっと。
綺麗事ばかりではありませんが、楽しいことも悲しいことも辛いことも、全て自分の匙加減ですよね。
“希望”はそこにありますか?
みかん
生きること、これからの時間の使い方を考えてみてね。