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“胃ろう”って聞いたことがありますか?
医療や介護に携わったことがなければ聞きなれない言葉やとは思います。
簡単に説明すると、
食事が口から取れなくなった場合にお腹から胃に向かってチューブを入れることで、そこから液体やゼリー状の食事を体に取り入れることができるものなんです。
他にも鼻から管を通して栄養を入れたりする方法があって、それらをまとめて経管栄養って呼びます。
この“胃ろう”を選択するかしないかは個人にとっても家族にとってもすごく重要な選択になります。
今回は介護現場でも問題になっている、この『経管栄養』の中でも最も問題視されている『胃ろうの選択』について書いていきます。
胃ろうが適応になる場合
食事が口から取れなくなり、消化管に問題のない場合に適応となります。
例えば、
- 脳の障害などで口から食事をとることが難しい人。
- 重度の認知症で食事をとることが難しい人。
- 食事をするとむせることが多く、肺炎などを繰り返している人。
などがあげられます。
胃ろうを選択するメリット
まずはメリットについて書いていきますね。
- 1度胃ろうを造設すると、点滴や鼻からチューブを入れて栄養を摂る方法に比べ本人の負担や苦痛が少ないです。
- 点滴と違って消化管を動かすので全身状態がよい状態で保てることが多いです。
- 食事でむせたりすることによる肺炎などのリクスを下げることができます。
- 薬を確実に投与できます。
- 食事も併用して摂ることができます。食べれるようになれば足りない分だけ胃ろうから補ったりなどの調整もできます。
- 延命。
胃ろうを選択するデメリット
次はデメリットをあげていきます。
- 胃ろう周囲の皮膚トラブルが起こることがあります。
- 胃ろうが抜けてしまうことがあります。
- 介護者に負担がかかります(食事介助に比べどちらが負担になるかは個人によってかなり違います)。
- 施設によっては入所できない場合があります。
- コストがかかります(半年に1度のチューブの交換や胃ろう用の栄養など)。
- 延命。
延命と介護の問題
メリットにもデメリットにも両方に延命って言う言葉があります。
命があるんやからメリットしかないと思う人もいるかもしれません。
もちろん生きていてくれるだけでいいと願う家族がいらっしゃるのも事実で、家族のための選択であってもいいと思います。
また病状によっては皆が思うような延命と違って、胃ろう以外は問題なく過ごせることもあるので延命と一言で片付けることもできません。
延命の良い面は、もちろん長生きできることですよね。
じゃあ何が問題になってくるかって言うと、中には延命を望まない方もいらっしゃいるって言うことです。
問題になる事象は個々に違うんですが、次に例をあげてみますね。
まずは介護者の負担です。
胃ろうを造設すると、身体問題が比較的安定することも多いんですよね。
そうなれば5年、10年と長期間の介護が続くことになります。
また介護者も年を重ねていきますよね。
長期間の介護と介護者も年をとることで負担はますます大きくなるんです。
次の問題として、個人の尊厳は守られているのか?ということです。
脳梗塞で意志疎通が困難になった女性は、麻痺でほとんど動かない手を振り回して、胃ろうから栄養を入れることを必死に抵抗していました。
脳梗塞後まだ話せていた時期に「死にたい」と言っていたそうなんです。
意識ははっきりされていたんですが、徐々に話せなくもなるし身体はどんどん寝たきりにもなっていきます。
家族も面会に来ないし、彼女がどうすれば生きていきたいという希望持つことができるのか、私は想像ですら抱くことができなかったです。
そして、止めることが難しいという問題です。
食事が口から摂れるようになったなどの理由であれば、簡単に胃ろうの使用を止めれらるんです。
逆に全身状態の悪化などにより中断することもあったりします。
ただ、それ以外で止めるのは食事を与えないのと同じ行為になると思われるんですよね。
人としての心情的にも難しくて、倫理問題になってきます。
『介護者の負担が増えてきたから』『いつまでも胃ろうを続けるのが嫌になってきた』何て言う理由から止めることなんてできないのが現実です。
そして、コストの問題。
胃ろうは医療なので、医療費がかかります。
定期的に胃ろうチューブの交換も必要やし、栄養剤にもコストがかかります。
上記の問題が延命と密接に関係してくるんですよね。
延命と言っても医療のほとんどが延命であることに違いないです。
血圧の薬を飲むことだって、手術することだって延命の一つに入るんじゃないかと思います。
私の祖父の場合…
加齢に伴う嚥下機能(※物を飲み込む力)が弱くなって、肺炎を繰り返していたんです。
食事中にむせることはもちろん、痰が多くなって自分の痰や唾液でもむせてしまう程の悪循環やったんですよね。
施設や病院を行き来しつつも、自宅に帰ることを望んでいた祖父。
病院がイヤで不穏状態になって縛られたりもしたようです。
車で5時間ほどかかる場所に暮らしていたんで、私が最後に会ったのは亡くなる3年ほど前…。
実際には見てないんですが、母から状況は聞いていました。
祖母が医師から“胃ろう”の話を持ちかけられ悩んでいる…と。
祖父・祖母ともに昔の田舎人間なんで、医師の言うことは絶対やって思ってる人たちです。
でも体に穴を開けることや延命を嫌っていたのも事実です。
医師の説明不足なのか、医師への遠慮なのかはわかりませんが、“胃ろう”を拒否する選択はしてはいけないと思っていたようなんですよね。
本来なら本人の意思を尊重したいところなんですが、祖父の気持ちは『自宅に帰りたい』ただそれだけやったんです。
そのため、病状やその他の施設や介護面での決断権は祖母となっていました。
祖母の気持ちは断固拒否。
でも“胃ろう”にしなければ病院を追い出され、施設にも帰れないのでは!?と言う不安があったみたいです。
自宅に連れて帰るのが無理やったら、施設や病院に置いてもらえる選択をしなければいけないって思ってしまいますよね。
ナースの立場から言えば“胃ろう”を造設することは処置的には簡単なんです。
全身状態も安定することが多いし、楽しみ程度に食べれるようになることも考えられるます。
胃ろうを使うことなく口からしっかり食べれるようになる人もいるくらいです。
ここで問題になるのはメリットにもデメリットでもある延命なんです。
祖父と祖母は延命はしたくないって話してたらしいです。
祖父は意志疎通も可能やったし、食事もむせはするものの楽しんでいたようなんです。
これは自宅に帰りたいために無理矢理食べていた部分もあったと思いますが…。
肺炎を起こさないように胃ろうにすればただ命を伸ばすだけではない延命になったかもしれません。
逆にそのまま寝たきり生活を長く続けるだけになったかもしれません。
これは結果論でしかないんですよね。
ナースの視点でいろいろ言うことは簡単ですが、祖母の気持ちを尊重したかった私は敢えて祖母とは話さず実の娘である母と話をしました。
- 胃ろうを造設しないという選択肢があること。
- 胃ろうを選択する・しないどちらにしても施設には話さなければいけないこと。
- 治療を望まないなら施設で看取れるはずだということ。※施設によってはできない場合もあります。
結果、施設の看護師に相談という形で現状を伝えることを勧めました。
すると病院の医師との面談に同席してくれるとの回答。
そして施設で看取ることも可能であると。
悩みに悩んだ祖母は、延命(胃ろう)はしたくなかったこと・嫌がっている病院から施設へ早く出してあげたかったことから、このまま亡くなってもそれが自然なこととして受け入れる気持ちを固めていきました。
『胃ろうをしない』という選択をして、祖父は施設に戻りました。
後々、祖母が嬉しそうに、病院では食事を止められていたが最後に食事を食べてくれたと話していました。
個人によって大きく違う死生観。
どの選択をしても間違いなんてものはないんです。
病棟勤務時代、寝たきりで鼻からチューブを入れていた患者さんが胃ろうを造設したことで、見た目も良くなって状態が落ち着いたことを喜んでおられた家族も知っています。
時に後悔することがあるかもしれませんが、その時その時にしっかり考え・悩んだ答えならそれがベストやと思います。
そのために、納得するまで話を聞き、看護師やケアマネージャーなどに相談をしてほしいと思います。
ここにも死生観が反映されるんで、一人だけの意見を鵜呑みにせず、セカンドオピニオンならぬセカンドアドバイスをもらっても良いと思うですよね。
いろんなことを総合的に考えて、
患者本人や家族も含め、『個人』の意見を持って選択してほしいと思います。
悩んだり不安になることがあるかもしれませんが、決めるのは本人とご家族なんですよね。
医療従事者や経験者の声も参考にしながら、その時にベストやと思う選択をしてもらえたらと思います。