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突然ですが、皆さんは子供と“死”について話をしたことがありますか?
私は職業柄、看取りの場面に立ち会うことも多く、子供たちには早くから“死”について話をしています。
特に第1子には3歳という早い時期から説明していました。
何でこんなに早くって思うかもしれませんが、子供に伝えられなくなってからでは遅いんですよね。
『伝えらるときに伝えよう』って思ったら、少し会話ができるようになったタイミングで自然と話はじめてました。
いつ・ 何時・何があるかなんて予測できないのに加え、“死”は誰も避けることができないいつか訪れるものって言うのも「ちゃんと自分の口で伝えたい」って言う理由の一つでした。
今回は、3歳のときから“死”について話を聞かされてきた、長女(当時8歳)の『死生観』のお話をしていきます。
ナース“みかん”の死生観
まずはじめに、私の死生観について簡単に書いておきますね。
私はわりと昔から“死”について考えていたんです。
これは育った環境が要因の部分も大きいですけどね。
みかん
基本的にどんなに辛い人生でも『終わり良ければ全て良し』だと思っているので、死ぬときの感情はとても重要だと思っています。
今まで関わらせて頂いた人の多くは『死への恐怖』と『後悔』の言葉を口にしていました。
そうですよね。
怖いですよね。
私も“死”という未知のできごとは怖いし不安です。
わかって旅立つこともあれば、突然…っていうこともあるし、こうやって書いていながらも明日なんてわからないですからね。
みかん
後悔についても、私も「もっと好きなことをしておけばよかった」と思うかもしれませんが、それはそれで受け入れられそうな自分がいます 笑
みかん
たとえ突然その時がきたとしても…。
今一番心残りになりそうなのは子供を残していくことです!
なので、私が生きているうちに子供と“死”について話しておきたい、“死”というものを知っていてほしいと思っています。
旦那がそういったことに無頓着だから余計不安なんでしょうね。
もしものとき『突然受け入れられない現実』を突きつけられるのと『いつか全ての人に訪れること』を知っているのとでは雲泥の差ですよね。
みかん
みかん
“死”について話したこと
子供たちには
『死』は基本的に順番があること。
そして必ず全ての人に訪れること。
この二つをベースに話しています。
これは誰も変えることができない事実で、私にも子供たちにも必ず訪れること。
そして、
「病気や事故で死んだ場合はたぶん神様が呼んだんじゃないかなぁ」
「死んだあとは空に行くらしい」と仮説を付け加えました。
もちろん、まだ死んだことがないので全て妄想の範囲。
そのあとは「わからない」ってこともちゃんと伝えています。
みかん
子供によっては過度に怖がってしまうこともあるので、伝える時期や伝え方は考えなければいけないんですけどね。
『生まれるとき』と『死ぬとき』が一番大変なことも伝えていますが、我が子は“死”に対して今のところ恐怖心は抱いていないようです。
小学3年生の“死”イメージ
我が子が抱く『死に対するイメージ』はこんな感じです。
まず、死んだら空に向かって階段をのぼっていくそうです。
途中で階段が二つに別れていて、一つは地獄、もう一つは天国の入り口に続いているんだとか。
そして、天国へ行く方は案内人が待っているらしいです。
「ママが死んだら寂しいなぁ。悲しいなぁ。でも順番やからな。」
みかん
順番になるよう、子供たちには私より長生きするよういつも念押ししています。
逆のことは考えたくありませんが“お腹に宿ったときから全ての人に必ずそのときがくる”のは決まり事なんですよね。
大人の私たちも子供に対して『いつ・何時・何があるか』を意識して子育てしていかないといけないんだと思います。
小学3年生の“生”のイメージ
3歳から“死”について話をしてきた第1子が先日なかなかの爆弾発言をしました。
第3子が結核闘病中のため内服をしているんですが、
「産まれてこんかったらよかったのになぁ」って。
みかん
何てことを言うんやと思って、二度見ならぬ、二度聞きをしました。
「だって毎日お薬飲んで可哀想やん」
要約すると「生まれてこなかったらそんな嫌な思いしなくて済んだのに」ってことだったんですよね。
小3の子供にとって、一年前まで居なかった赤ちゃんの存在がまたいない状態になる=『元に戻る』と同じことだったんです。
生きる幸せ<薬を飲んでいるのが可哀想
みかん
「こんなにかわいいのに。こんなに笑ってるのに。これからもいっぱい楽しいことあるのに。」
そう伝えると
「生まれてきてよかったけど、でもやっぱり可哀想」
なんだって。
生きてるってことが当たり前すぎて、辛さの比重を大きく捉えてしまったらしいです。
まだまだ、先のことを考える力は乏しいですが、それでも第3子を思っての発言。
これはきっと、私が“死”について話したのに、“生”についてちゃんと話してなかったからでしょう…💦
なので、“生”をどう思ってるか聞いてみました。
その答えは、
「生きるって大変やと思う!!」
みかん
真剣な眼差しがちょっと笑えましたが、毎日の私を見てそう思っているとのこと。
自分のことを後回しに、子供たちの世話やらなんやらしていることを大変だと思ってくれていたようです。
小3にもなると口も達者だし、いろいろ問題はあるんですが、何ともまぁかわいいところがあると思いました。
「生きることは大変やけど、でも生きていかなあかん!!」
こう言ってくれくれた我が子には、大事なことは伝わっているようです。
それならば、第3子が生まれてくれたのはすごいことで、生きているだけで意味のあることもあると伝えました。
まぁ第3子の病気について無知だったんで、若干発想がおかしくなってしまったのかな…。
薬を飲んでても元気なこと、長生きできるんだとも付け加えました。
これで理解してくれたような気がします…💧
私の願い
みかんのモットーは“自立”。
これが各々できれば誰に迷惑をかけることもなく、足を引っ張ることもなく生きていけます。
口で言うほど簡単ではないですが、自立を目指すのは良いことだと思うんですよね。
精神的だったり社会的だったり自立もいろいろありますが、全てじゃなくてもいいんです。
自立していなければ誰かを支えることも助けることも難しいです。
誰かを頼ったり甘えたりしてはいけないと言うことではないんですが、“あて”にして生きるのは止めてほしいんですよね。
そして、自分が頑張れる所を知っていてほしいと思っています。
人には向き不向きって物もあるから任せたり任せられたり、winwinの関係が成立すればそれでいい。
まぁ要するに周りに生かせてもらうのではなく、『自分で生きてると思ってほしい』ってことなのかなぁ。
とにもかくにも、
私が居なくなっても世界は廻ります。
私が居なくなっても子供たちは生きていかなければいけないんです。
それを理解したのか…していないのか…、娘はこう言いました。
「でも、自分が死ぬ時はまたママに会いたいなぁ」
って。
私も同意見です!
我が子は純粋に“死”を理解しようとしています。
いざその時が来たら受け入れるなんて到底無理かもしれません。
でも、私と話した“死”についての話はちゃんと記憶に残っているし、これからも“生きる糧”になると信じています。
そして、今私に何かあっても第1子が下の子供たちへ伝えてくれると思っています。
もちろん下の子たちへもみかん自身で伝えていくつもりですけどね。
まだまだ先かどうかはわかりませんが、確実に訪れる“死”。
誰も逃れることはできないんです。
いつもと同じような毎日を送っていると、今生きてることを当たり前だと思ってしまうし、いつまでも続くと思ってしまいますよね。
『勉強しなさい、運動も大事』なんて思うけど、それは“生きている”から思うこと。
いろんな悩みがあるけど、親も子供も、“命に限りがある”と意識するだけでちょっと優しくなれそうな気がしませんか!?
死生観って人それぞれだし、正解はありません。
でも今生きてることが素晴らしいことなんだと思える人になって欲しいと私は願っています。
死生観を養うためのオススメ絵本
なかなか“死”について話をするきっかけがつかめなかったりしますよね。
なので、少しでも話しやすくなるよう私のオススメの絵本を紹介しておきますね。
まず1つめは『100万回生きたねこ』です
100万回生きたねこが最後に生き返らなかった理由は…
きっと色んな意見があるかと思います。
人はどうして生きているのか、輪廻転生はあるのか…!?
なんていう疑問を一緒に考えてみるのも良いですよね。
ちまたでは究極のラブストーリーなんて言われたりもしているようですが、何のために生まれてきているのかを考えさせられる絵本です。
2つ目は『葉っぱのフレディ』です。
葉っぱの一生を通じて、自分の生涯を考えさせられる素敵な絵本です。
ちょっと切なくなりますが、命の尊さや生きるということ、死ぬということを優しく説いてくれています。
どちらも有名な絵本なので知ってる人も多いかと思います。
子供の絵本と言うより大人が考えさせられる絵本なのかもしれませんが、子供と“生と死”について話すきっかけにしてもらえればと思います。